明神男坂
場所:外神田二丁目17先 明神男坂石段頂上
『江戸名所図会』にも登場するこの坂は、江戸時代には「明神石坂」、「石坂」、「明神東阪」などと呼ばれていました。高台で見晴らしが良かったため、風光明媚な場所として錦絵にも描かれています。
幕府が1825年から1828年(文政8年~11年)の間に町名主に提出させた、町の情報をまとめた『町方書上』によれば、当時高さは4丈余り(約12m)、幅は2間(約3.6m)、石段数は68段と紹介されています。明治時代に入ると、「明神男坂」と呼ばれるようになりました。
更新日:2023年03月03日