弁慶橋
場所:紀尾井町1先 弁慶橋北東橋詰歩道
この橋は、神田の鍛冶町から岩本町付近を流れていた愛染川にあった同名の橋の廃材を用いて1889年(明治22年)に新たに架けたものです。名称は、橋を建造した弁慶小左衛門の名に由来します。この橋にあった擬宝珠(ぎぼし)は、筋違橋(すじかいばし)・日本橋・一ツ橋・神田橋・浅草橋から集めたものでした。当時は和風の美しい橋であったため、弁慶濠沿いの桜とともに明治・大正期の東京の名所となっていました。
1927年(昭和2年)に架け替えられ、現在の橋は1985年(昭和60年)に改架したコンクリート橋です。緩やかなアーチの木橋風の橋で、擬宝珠や高欄など細部に当初の橋の意匠を継承しています。
詳細情報
この橋は、神田の鍛冶町から岩本町付近を流れていた愛染川にあった同名の橋の廃材を用いて1889年(明治22年)に新たに架けたものです。名称は、橋を建造した弁慶小左衛門の名に由来します。この橋に取り付けられていた青銅製の擬宝珠(ぎぼし)は、『新撰東京名所図会』によれば、筋違橋(すじかいばし)・日本橋・一ツ橋・神田橋・浅草橋から集めたものでした。
当時は和風の美しい橋であったため、弁慶濠沿いの桜とともに明治・大正期の東京の名所として親しまれ、絵葉書や版画の題材にもなりました。とりわけ清水谷の桜は美しく、『新撰東京名所図会』には、“爛漫(らんまん)の桜花を見ることができ、橋を渡るとまるで絵の中に入ったようだ”と周辺の美しさが記されています。
また、橋の上からは周辺を通行する人々や車馬、付近に建っていた北白川宮邸・閑院宮邸などが見えたそうです。
明治以来の橋は1927年(昭和2年)に架け替えられ、さらに1985年(昭和60年)にコンクリート橋に架け替えられました。緩やかなアーチの木橋風の橋で、擬宝珠や高欄など細部に当初の橋の意匠を継承しています。
更新日:2022年10月03日