二合半坂 更新日:2022年11月22日 場所:富士見一丁目1先 暁星小学校脇歩道 江戸時代、この坂の上からは日光山の半分を眺めることができました。富士山の高さを一合~十合と数えますが、この坂から見える日光山は富士山の約半分、すなわち五合の高さでした。五合の日光山のさらに半分で、二合半坂と名付けられたといわれています。江戸時代はこの坂の両側には旗本屋敷が建ち並んでいましたが、明治時代には、坂の東側に英語教育課として知られる神田乃武の邸宅が、西側には和洋裁縫女学校(現在の和洋女子大学)がありました。 【明治時代の二合半坂周辺】 赤丸の部分が標柱の設置位置。「東京一目新図」より。
更新日:2022年11月22日