道三橋跡
場所:大手町二丁目2先 新大手町ビル本館西側道路
1590年(天正18年)に徳川家康が江戸に入国し、江戸城建設の物資補給路のために竜の口(和田倉門のそば)から銭瓶橋(ぜにがめばし)まで掘割を開削させ、道三掘と呼びました。そのほぼ中間点、現在の丸の内一丁目と大手町一丁目の境に架けられていたのが道三橋です。慶長年間(1596年~1614年)には堀に沿って材木屋等の町屋が立ち並びましたが、その後武家地となり、大名家が屋敷を構えました。当初は大橋と呼ばれていましたが、南東の端に幕府典薬寮(てんやくりょう)の医官今大路(いまおおじ)道三(どうさん)の屋敷があったことから道三橋と呼ばれるようになりました。
また、橋の西側に熊本藩(現在の熊本県)細川家の屋敷があり、当主の代々の幼名が彦次郎であったことから彦次郎橋とも呼ばれていました。
1909年(明治42年)、道三堀が埋め立てられ橋も姿を消しました。
更新日:2022年10月03日