観音坂 更新日:2022年10月03日 場所:神田淡路町二丁目23先 元禄期(1688~1704年)まで、この坂の上に芦浦観音寺(茅浦観音寺と記した資料もあります)が建っていたことから観音坂と名付けられました。その後、観音堂があった場所は旗本屋敷となりました。明治時代には、この地域には実業家や政治家などの邸宅がありました。 【明治時代の観音坂周辺】 赤丸の部分が標柱の設置位置。「東京一目新図」より。
更新日:2022年10月03日