明治大学発祥の地(深溝松平家上屋敷跡)
場所:有楽町二丁目2
かつて外濠川に面したこの付近には、1691年(元禄4年)以来、肥前島原藩(現在の長崎県)などを治めた深溝松平家の上屋敷が置かれていました。明治維新後、屋敷は、政府の収用を免れて貸し出されることになり、民権結社による演説会などが盛んに催されました。1881年(明治14年)1月17日、若き法律家である岸本辰雄・宮城浩蔵・矢代操は、屋敷の一部を借り受け、同心協力して明治法律学校(明治大学の前身)を開校し、1886年(明治19年)に神田区駿河台南甲賀町(現在の神田駿河台)へ移転するまで、我が国の近代化を担う法曹の育成に努めました。
1995年(平成7年)、同地に「明治大学発祥の地」碑が建立されました。
(注意)詳細につきましては、以下の明治大学公式ホームページもご覧ください。
青丸が説明板設置地付近。赤線の囲みが上屋敷地。
(地図は〈一財〉日本地図センターが刊行した「五千分一東京図測量原図」のうち、「東京府武蔵国麹町区八重洲町近傍」及び「東京府武蔵国京橋区木挽町近傍」を使用)
更新日:2022年10月03日