塙保己一和学講談所跡
場所:三番町24先 植松義則邸北東側交差点角歩道
東京都指定旧跡
1955年(昭和30年)3月28日指定
塙保己一(はなわほきいち)は、武蔵国児玉郡保木野村(現在の埼玉県本庄市)の出身の学者で、若くして目が不自由となりました。江戸に出て、最初は音曲などを学びましたが、次第に学問に励むようになります。1793年(寛政5年)に裏六番町通(現在の四番町4番地)に和学講談所を設立しました。1805年(文化2年)になると、裏六番町の屋敷が御用のため収公され、代わりに表六番町通(現在の三番町24番地)に移転しました。
和学講談所では、日本の古文献が広く調べられ、集大成となる「群書類従(ぐんしょるいじゅう)」が編纂されました。
更新日:2022年10月03日