富士講関係石碑群

更新日:2022年10月03日

千代田区指定文化財
1998年(平成10年)4月1日指定

 5つの石碑群は、柳森神社周辺に存在した富士講(ふじこう)のなごりを、今日に伝える石碑群です。富士講とは富士山信仰をもとに成立した民間信仰の一種で、江戸時代特に町民や農民の間で流行しました。
 柳森神社は、1680年(延宝8年)に駿河富士宮浅間神社(するがふじのみやせんげんじんじゃ)から分祠した富士浅間神社を、合殿・合祀した経緯から、富士講と深い関わりを持つ場所でした。『東都歳事記』には、天保年間(1830~1844年)頃の「富士参」(富士浅間神社への参詣)の例として柳森神社のことが取り上げられています。
 1930年(昭和5年)には、境内に富士塚と呼ばれる、富士の溶岩石を積み上げて富士山に模した塚も築かれましたが、1960年(昭和35年)に取り壊され現存していません。
 石碑群の銘文には、富士塚が築かれた時期に近い、大正や昭和の文字があり、このころに富士講を再興させようという動きがあったことがわかります。