一橋門跡
一橋門は、徳川家が江戸城に入ったころにはすでに架けられており、大きな丸木が一本架けられただけの橋であったことから、この名がつけられたと言われています。17世紀中頃には、付近に松平伊豆守(いずのかみ)の屋敷があったので、伊豆殿橋と呼ばれたこともありました。なお清水家、田安家と並んで徳川御三卿と称された一橋徳川家の屋敷は1740年(元文5年)から、門内にありました。
この門の石垣は、1629年(寛永6年)に築造、1873年(明治6年)に撤去されており、現在では川岸にわずかな高石垣だけが残っています。現在の橋は、1925年(大正14年)に架けられた関東大震災の復興橋梁の一つで、都内に造られた12のラーメン橋台橋の内、唯一当時の姿を今に残すものです。
更新日:2022年10月03日