常盤橋門

更新日:2024年03月22日

1871年(明治4年)の常盤橋門(「旧江戸城写真帳」1871年撮影 東京国立博物館蔵)

1871年(明治4年)の常盤橋門(「旧江戸城写真帳」1871年撮影 東京国立博物館蔵)

場所:大手町2-7-2 常盤橋公園内

常盤橋門は、1629年(寛永6年)に出羽・陸奥の大名によって築造されました。門は、江戸城諸門の中でも奥州道中につながる江戸五口の一つで、浅草口、追手(大手)口とも呼ばれました。江戸城内郭の正門である大手門に接続することから、軍事上重要な門に位置付けられました。
門の構造は、内桝形門形式の桝形門で、北側に渡櫓とそれを支える石垣があり、門をくぐった先には大番所が配置されました。また、東側には冠木門(かぶきもん)が構えられており、それ以外の三方は土手が巡らされていました。
明治以降、常盤橋門の建物は破却されました。残った桝形石垣の一部と1877年(明治10年)に架けられた常磐橋(石橋)、橋の石積部分は1928年(昭和3年)に国の史跡に指定されています。