竹橋門跡
場所:一ツ橋一丁目1先 竹橋南東側橋詰広場内
門の名は、竹で編んだ橋が最初に架かっていたことに由来します。門は、1620年(元和6年)、仙台藩(現在の宮城県)藩主伊達政宗ほか6名の大名によって築造されました。この門は、北の丸の東の出入り口にあたり、山王社(現、日枝神社)と神田明神(神田神社)の天下祭りの山車行列は、この門を通過しました。
竹橋門の石垣の多くは撤去されていますが、この門の脇から平川門に通ずる帯曲輪という通路や濠石垣は良好に残っています。1926年(大正15年)に帝都復興事業で架設された現在の橋は、ほぼ江戸時代の橋の位置に架けられています。
更新日:2022年10月03日