神田橋門跡

更新日:2022年10月03日

神田橋公園内の通路沿いに設置された神田橋門跡の説明板の写真

場所:神田錦町一丁目27先 神田橋公園内・神田橋北西橋詰

ここは、芝崎口・神田口門・大炊殿橋門とも呼ばれ、将軍が上野寛永寺に参詣に行くための御成道となるため、門の警備は厳重でした。門は、1629年(寛永6年)に下野真岡藩(現在の栃木県)藩主稲葉正勝によって構築されました。対岸の鎌倉河岸は江戸城築城の資材を荷揚げする河岸場だったので、この門の役割は重要でした。
1873年(明治6年)に櫓門が撤去され、1884年(明治17年)に木橋が架け直されました。道路の拡張と市電の開通に伴い改修され、関東大震災で焼け落ちた後に新たに架橋されました。現在の橋は、1980年(昭和55年)に改架されたもので、木橋風の意匠に、灯籠風の親柱、石造風の高欄を組み合わせています。

奉祝門の間を車が走り、近くを自転車で通行している人達が描かれた絵葉書

大正8年(1919年)に開催された帝都三大祝典の際、神田橋に立てられた奉祝門。帝都三大祝典とは東宮(昭和天皇)成年式、東京市制三十年、遷都五十年を祝い東京全市をあげて開催された祝典のこと。
(絵葉書、千代田区教育委員会蔵)

奥の細い橋を人々が渡り、手前の神田橋が粉々に崩れて鉄骨のみになっている白黒写真

関東大震災で焼け落ちた神田橋
(絵葉書、千代田区教育委員会蔵)