牛込門北側土塁

更新日:2023年11月10日

1636年(寛永13年)、将軍家光は諸大名に命じて、虎ノ門から時計回りに浅草橋門に至る外堀を構築し、翌年、芝でおお覆った土手に松杉の苗を二列植えさせました。松杉は土手の裾(すそ)から九尺(約2.7m)上がった位置に、一間(約1.8m)間隔で、外側には大きめ、内側には大小とりまぜ、互い違いになるよう植樹し、土留(どどめ)と遮蔽(しゃへい)の役割を担わせました。
牛込門ますがた枡形石垣から東に伸びる土塁は、古写真によると堀側はなだらかな土手、門の内側(江戸城側)は、芝に松が繁る景観として「江戸風景」に描かれています。明治になると、道の拡幅や鉄道の開通により土手は数度にわたり削り取られましたが、地中には、土を板と杵でつき固める版築(はんちく)と呼ばれる工法で構築された江戸時代の土塁の一部が残っています。ここでは、松杉が植樹された土塁のイメージを再現しています。