万世橋駅
東京駅の姉妹駅
万世橋駅(神田須田町一丁目25-4)
明治から大正にかけて東京で最も賑やかだった街。それは万世橋界隈、現在の神田須田町周辺でした。その中心となったのが万世橋駅です。現・西武鉄道の前身である甲武鉄道が計画し、その後国有化されて中央線の駅として1912年(明治45年)に完成しました。浅草から上野、銀座、品川を結ぶ市電の系統が集中するターミナル駅として、当時日本で一・二を争う乗降客の多い駅となっていました。駅舎は、東京駅を設計したことで知られる辰野金吾博士の手による赤煉瓦、石積みの2階建てで、待合室のほか食堂、バー、会議室などを備えた豪華な造りでした。
駅前広場には、1910年(明治43年)に広瀬武夫中佐と杉野孫七兵曹長の銅像が建てられました。広瀬中佐は日露戦争において、湾口に船を沈める旅順港閉塞作戦で砲弾に当たり戦死、軍神第1号となった人物です。
万世橋駅は、その後1923年(大正12年)の関東大震災で被災するなどし、1943年(昭和18年)、31年の歴史に幕を閉じることになります。その跡地は商業施設mAAch ecute(マーチエキュート神田万世橋)として、2013年(平成25年)に復活しました。階段、壁面、プラットホームなどの遺構をそのまま活かしてショップやカフェ、レストランなどおしゃれな店が軒を連ねています。
更新日:2022年10月03日