神田明神
神田っ子の誇り
神田明神(外神田二丁目16-2)
江戸東京の表鬼門・艮(うしとら、北東)を守る江戸総鎮守である神田神社は神田明神の名で広く知られています。
1600年(慶長5年)徳川家康が関ヶ原の戦いに臨む際、ここで戦勝を祈願し、勝利したことにより代々徳川家の崇敬をうけることになります。1616年(元和2年)現在の地に遷座し社殿が造営されましたが、1923年(大正12年)の関東大震災で焼失。その後、築地本願寺の設計で知られる伊東忠太の設計により、コンクリートで権現造りの社殿が再建され、現在国登録有形文化財となっています。祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと、だいこく様)と少彦名命(すくなひこのなのみこと、えびす様)、そして「荒ぶる神」平将門命(たいらのまさかどのみこと)です。
本殿の横に回ってみると、わが子を千尋の谷底に突き落とす親獅子を現わした「石獅子」があります。その裏にあるのは、野村胡堂の小説「銭形平次捕物控」の主人公「明神下の平次親分」こと銭形平次の碑です。小説では明神下の台所町に住んでいたことになっている銭形平次。直径2メートルほどの石造りの寛永通宝の真ん中に「銭形平次」と刻んだ石碑が建っています。その傍らには平次の子分・八五郎の碑があり、「親分!てえへんだ!てえへんだ!」と叫んで駆け込んでくるがらっ八こと八五郎の姿が目に浮かんできます。
さらに本殿の裏には、神田っ子たちが待ちわびる二年に一度の大祭・神田祭で担がれる各町会の神輿が格納されている神輿庫(しんよこ)があります。それ以外にも各地の稲荷神社、江戸神社、魚河岸水神社などの摂社、末社がひしめいています。
そして、神田神社創建千三百年を記念して建てられた地下1階地上4階建ての神田明神文化交流館「EDOCCO」。1階のショップではここでしか買えない明神様のオリジナル商品や土産物を販売しています。
更新日:2023年05月15日