心法寺
江戸開府からの名刹
心法寺(麴町六丁目4-2) (注意)内部は非公開
現在、麴町六丁目にある「常栄山心法寺」は、千代田区内では唯一墓域を持つ浄土宗の寺院です。都心の中で、歴史が刻まれたお寺の佇まいを紹介します。
もともとは、推古天皇の時代に創建された三河国の「秦宝寺」でしたが、1590年(天正18年)に当時の住職、然翁聖山和尚が、徳川家康に同行して江戸にやってきました。その後、三河国に帰ろうとした和尚を家康が引き止め、広い寺地を与えようとしました。しかし、和尚はそれを断り、「江戸に移住した町人のための大衆的なお寺にしたい」との願いから、1597年(慶長2年)に現在の場所にお堂を建て、現在の「心法寺」に改めました。
当初は大名や旗本が檀家になることを断り、町人たちのためのお寺として発展しました。のちには武家の檀家も受け入れるようになりますが、特に女性の信者が多かったと言います。11代将軍徳川家斉(1773〜1841年)の側室お美代の方も帰依していたそうです。
400年以上の歴史を持つ古刹で、「江戸名所図会」にも隣接した常仙寺とともに広大な境内の心法寺が描かれています。1899年(明治32年)に発行された「新撰東京名所圖會」では、「十丁目十八、十九番地を、合併し寺地とせり。山號を常榮山と稱へ、浄土宗にして本尊は阿弥陀如来なり。門内左側に一堂を設く。内に千手観世音菩薩を安置し。山手三十二番の札所とす。」とあります。
現在は、当時の寺域からはかなり縮小されていますが、都心の寺とは思えない静かな佇まいは、やはり古刹の雰囲気を湛えています。ご本尊は、木造阿弥陀如来坐像で、像高109センチメートル、ヒノキ材寄木造りで漆箔が施され、鎌倉時代の作と伝えられています。境内には、地蔵の体に塩を塗ることで身体健康のご利益があると言われている塩地蔵尊があり、墓地内の六地蔵とともに古くから多くの信仰を集めていました。
墓地には、考証家の竹尾善筑の墓、幕臣で土木技術者だった伊澤弥総兵衛の墓碑、下野皆川藩松平家墓所などがあり、他にも区文化財指定を受けている梵鐘や庚申塔など多数あります。
更新日:2022年10月03日