常燈明台

更新日:2022年10月03日

海見えた 灯台照らす 九段坂

常燈明台(九段南二丁目2)

上部は洋風で四面ガラス、避雷針があり下部は和風の様式をした常灯明台の全体を写した写真

 明治期の文明開化の一環として、1871年(明治4年)に建築されました。正式には高燈籠と言いますが、通称「九段の常燈明台」と言われています。初めは靖国神社前偕行社の構内に築造されましたが、道路の新設などの理由から、1930年(昭和5年)に現在の場所に移されました。

 当時は九段坂の急斜面に沿った高台で見晴らしが良く、品川沖やはるか遠くの房総半島からも灯りが見えたとされます。『東京名所図会』の中には、「常燈明台は有名なるものにして、九段の坂の上、偕行社構内の南角にあり、種々の丸石をセメントを以て積み上げ上を角石にて畳み回覧を施し、最上に四面ガラスを以て鎖せる室を設け、内に灯器を備ふ、最頂には、東西南北を示せる敷か指鍼を附せり、毎夜必ず点灯す、遠く之を望むに大星の如し、故に品海、暗夜の標ぼうとなり居りという。」と書かれています。
 九段坂を題材とした、明治・大正期の錦絵、写真、絵画には必ずと言っていい程この常燈明台が見られました。小林清親の「九段坂五月夜」などの作品が有名ですが、現在でも千代田区内の小学校では写生大会が開催されると、よく描かれる人気エリアになっています。

 高さは約17メートル、基壇・燈塔・塔室・屋根・冠蓋・風見・避雷針の各部から構成されています。基壇・燈塔廻縁(台座部分)は方形、燈塔・塔室・屋根はそれぞれ円筒八角形です。基壇は袴状で、表面は全国の名石をセメントで固めて築いたといわれ、頂きには切石がめぐらされています。また、燈塔廻縁は円弧状形の持送り石モルタル仕上げで、燈塔自体は八角円で、内径1,880メートル、外径2,430メートル、高さ2,690メートルの整層切石積みで、内部は空洞、石積み上部には燈塔廻縁と同仕上げの塔室廻縁がのっていて、塔室窓台の石が組まれています。
 設計者などについての詳細は不明ですが、下部基壇は自然石乱石積みで組む袴状の日本的な様式、上部は八角円筒の西洋式という、いわば和洋折衷の様式は、幕末から明治初期にかけて流行しました。

 周囲に高層ビルが建ち海が見えなくなった今でも、九段坂を上って千鳥ヶ淵へと続く北の丸公園入口や旧江戸城田安門をライトアップするかのように点灯する燈台の灯りは、幻想的な空間を演出しています。