番町文人通り
多くの文人たちが住んでいた道
番町文人通り(一番町〜四番町、六番町)
千代田区の番町麴町界隈には、明治から大正・昭和にかけて、実に多くの作家や文化人たちが住んでいたことは意外に知られていません。とくに、麴町大通りに面した麴町六丁目6の先から、大妻通りに抜ける一番町20の先までの東西の道(番町中央通りと番町学園通りとの間に並行している道)は、まさに「番町文人通り」と呼ぶにふさわしい一筋の道でした。江戸時代にはこの道の四ッ谷寄りあたりは、隣地に成瀬隼人正の屋敷があったところから「成瀬横丁」とも呼ばれていました。
番町文人通りの由来は、洋画家で白樺派の作家でもあった有島生馬が、「幸田露伴先生が裏の借家を見に来られた時、ここは文人町ですねといって帰られたそうだが…(中略)パリー辺なら取りあえず文人町とでも改名される所だ。」(『大東京繁昌記・山手編』昭和3年刊行)と書いているところから名付けられました。
この周辺に多くの文人たちが住んでいた理由としては、もともと旗本屋敷だったことから手頃な敷地に分割されていたことや、東京の中心で交通の便もよいわりには、比較的静謐な環境が保たれていたことなどが考えられます。
番町文人通りの近辺に居住した文化人たち
- 藤田嗣治 「乳白色の肌」でパリを席巻した国際的な洋画家
- 島崎藤村 自らの人生を赤裸々に描いた文豪
- 初代中村吉右衛門 大正・昭和の歌舞伎界を牽引した歌舞伎俳優
- 泉鏡花 独特の神秘世界を描いた作家
- 有島武郎 「或る女」を書いた白樺派の作家
- 有島生馬 フランス印象派を紹介した洋画家・作家
- 里見とん 文学の職人芸に徹した作家
- 菊池寛 「文藝春秋」を創刊した、骨太の作家
- 直木三十五 「直木賞」にその名を残す時代小説家
- 武田鱗太郎 プロレタリア文学の旗手
- 与謝野晶子・与謝野寛 詩歌誌「明星」で一世を風靡した歌人夫婦
- 網野菊 番町の庶民の暮らしを描いた女流作家
- 串田孫一 こよなく山を愛した詩人・哲学者
- 市川右太衛門 「旗本退屈男」で一世を風靡した時代劇スター
- 川喜田半泥子 昭和の「光悦」と称された陶芸家
更新日:2022年10月03日