明治大学発祥の地(深溝松平家上屋敷跡)

更新日:2022年10月03日

屋外に設置された明治大学発祥の地(深溝松平家上屋敷跡)の説明板の写真

場所:有楽町二丁目2

かつて外濠川に面したこの付近には、1691年(元禄4年)以来、肥前島原藩(現在の長崎県)などを治めた深溝松平家の上屋敷が置かれていました。明治維新後、屋敷は、政府の収用を免れて貸し出されることになり、民権結社による演説会などが盛んに催されました。1881年(明治14年)1月17日、若き法律家である岸本辰雄・宮城浩蔵・矢代操は、屋敷の一部を借り受け、同心協力して明治法律学校(明治大学の前身)を開校し、1886年(明治19年)に神田区駿河台南甲賀町(現在の神田駿河台)へ移転するまで、我が国の近代化を担う法曹の育成に努めました。
1995年(平成7年)、同地に「明治大学発祥の地」碑が建立されました。

(注意)詳細につきましては、以下の明治大学公式ホームページもご覧ください。

上屋敷地の説明板設置位置を示した地図

武家屋敷地の区画

青丸が説明板設置地付近。赤線の囲みが上屋敷地。
(地図は〈一財〉日本地図センターが刊行した「五千分一東京図測量原図」のうち、「東京府武蔵国麹町区八重洲町近傍」及び「東京府武蔵国京橋区木挽町近傍」を使用)

門が開いておりその奥にたくさんの人達が集まっている明治法律学校(想像図)のイラスト

創立期の明治法律学校(想像図)

茶色の大きな建物がそびえたつ明治大学駿河台キャンパスの写真

明治大学駿河台キャンパス(2019年)